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Blog-9 アメリカに行ったT子さんの存在~小柄でも冒険的な人生

更新日:2021年9月6日



 私は東京の大田区で生まれ育ちました。実家は祖父の代から家業をしており、家族は父方の祖父母、両親、弟3人, そして私が高校へ入るまで叔母(父の一番下の妹)の8人暮らしでした。親戚が多く、駅から近かったこともあり、家にはいつも人が出入りしていました。数回ですが、外国からのお客さんも来たことがありました。


 祖母の姪で、私の父の従姉妹に、アメリカ人と結婚したT子さんという人がいます。T子さんは、小柄な人で、長い髪をいつも後ろでくるくると巻き上げていました。大学時代、交換留学生でアメリカに行き、そこで旦那さんと出会ったそうです。T子さんは私の母と同じ年ですが、その当時、国際結婚は珍しい時代でした。T子さんのお父さんは若くして亡くなり、ご本人は、大学へは奨学金と家庭教師のアルバイトを掛け持ちして通っていた、と家族からは聞いていました。


 私が小学校へ入る前でしたが、旦那さんの転勤でT子さん一家は日本に滞在していたことがあり、T子さんの家と実家が、遠くなかったので、T子さんの旦那さん、そのお母さん(アメリカ人)も一緒に、何度か実家に遊びに来てくれたことがありました。


 旦那さんのお母さんは、おばあちゃんではありましたが、すっと背が高く、ワンピースを着て、真っ赤な口紅をし、真っ赤なマニュキュアをしていました。私の祖母は、普段から着物姿でしたので、文化の違い、とでもいいましょうか。。。ビックリしました。


 母は、普段使っていないカクテルグラスに、ピンク色のゼリーを入れ、その中に赤い缶詰のサクランボを落としたデザートを作り、もてなしていました。私は、その様なおやつを初めて見たので、「母も相当気合が、入っているな~。」と感じましたが。。。黙っていました。


  T子さんには、男女2人の子どもがおり、日本滞在中、母と私はひな祭パーテイ―に、招かれたことがありました。娘さんの友だちや家族など、国籍も様々で大勢の人がいました。ビュッフェスタイルでした。


 パーティーもおひらきになり、お客さんが帰られた後、T子さんは、百科事典サイズの大きな辞書を取り出し、調べ始めものを始めました。パーティー中の話題で知らない言葉があったのでしょうか? ご主人がアメリカ人で、言葉には不自由ないのか、と思っていましたが、まだわからない言葉があるのだろうか?と不思議に思ったものです。小柄なT子さんが、大きな辞書を膝の上に置き、調べものをしている姿は、今でもよく覚えています。


 私が子どもの頃、T子さんは雲の上の存在でした。その後、彼女はアメリカのロサンゼルスに移り、永住することになりますが、私が中学で英語を勉強し始めた頃から、いつも頭の中にいる存在でした。そして私が、その後何度か、アメリカに行った折には、いろいろ教えてもらい、お世話になる人となりました。


 

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